紅色年代2

Asukal2004-10-27

かつて大学を卒業した知識を持つ人々は自身で職業を選ぶことが許されなかった。
学んだ知識と教養は国家に属しその人材は国家の配分にて職種、職場が決定された。

国家はその知識を恐れスポイルする目的と、さらに地方の非知識階層への平等の証として知識人を僻地に送り込み非知識人と同じ職種を与えた。

Asukal知る旧国営時代の貿易公司の職員はほとんどこの経験を持つ。彼らの話を聞けばそれは一番輝くべき青春の時代をつらい労働と何も無いツンドラ、山の中、或いは砂漠地帯ですごさねばならなかったつらい思い出だと言う。

そんな昔の話ではない。ほんの十数年前までの話である。

そんな政策を逃れるためにたくさんの大学生が香港へ逃げた。多くのものは海を泳いで大陸から香港へ渡った。

Asukalの知る香港の家具工場の社長もその一人だったと言う。
見つからぬように波を立てぬようゆっくりと泳ぐ。夜中から明け方までかかる。
ある者は赤い腕章を付けた警備隊に見つかり銃殺、ある者は力尽きて水に沈み二度とは浮いてこなかった。彼は空気の入った球技用のボールを持って泳ぎきったと言う。

身の回りのものはもちろん、金銭さえ持っては行けぬ。英国領香港政府はそれらの学生を人材として歓迎し受け入れる施設も準備した。陸へ上がった学生が一時的に眠る場所と衣服と簡単な食事を持って受け入れたと言う。

そして家族や親戚、知人の所へと散っていったと言う。

彼は今、大陸に工場を持ち自由に行き来できる。大陸は今彼らの投資を歓迎している。
笑って当時の事を話してくれる。40年前の話だったと。